高山の街づくりの歴史 ― 城下町計画から景観保存都市への系譜

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岐阜県高山市は、飛騨地方の中心都市として知られ、「飛騨の小京都」と称される歴史都市です。
その町並みの特徴は、単に古い建物が残っているのではなく、城下町以来の都市構造と生活文化が一体で継承されている点にあります。

この記事では、建築史・都市計画の観点から、高山がどのように形成され、どのように“保存から活用へ”と進化してきたのかをたどります。

1. 城下町の形成 ― 金森長近による都市計画

高山の都市基盤を築いたのは、1585年に飛騨を平定した金森長近です。
彼は高山城の築城と同時に、近世初期の城下町都市計画を導入しました。

彼は山上に城を構え、その南麓に町人や職人が暮らすエリアを整備しました。

当時の街づくりは、単なる自然発生的な集落ではなく、計画的にデザインされた城下町構造でした。
特徴は以下の通りです。

  • 碁盤目状の町割(まちわり):道路と街区を整然と配置
  • 機能別ゾーニング:武家屋敷・商人町・職人町を明確に区分
  • 河川の活用:宮川や江名子川を防火・物流・生活用水に利用


京都の平安京や金沢などに見られる“武家都市モデル”を参考にしつつも、
山岳地形に適応した「飛騨型の都市デザイン」として独自進化を遂げました。

この時期に形成された町割が、現在も高山中心部(上三之町・下三之町など)にそのまま残っています。

2. 天領時代の都市構造と建築様式

1692年、高山藩が廃止されて幕府直轄地(天領)となると、政治・経済の中心は高山陣屋を核とする行政都市へと変化します。
高山陣屋とは、江戸幕府が飛騨国を直轄領として治めるために設置した役所のことです。

この時期、町家建築も確立されました。
現存する町並みに見られるような、格子戸・出桁造(だしげたづくり)・うだつのある屋根などはこの頃の形式です。

■ 出桁造り(だしげたづくり)

屋根を支える垂木を支えるために、軒桁の上に、直行方向になるように腕木を出して、そこにまた出桁を乗っける方法。
上階の軒を前に張り出させた構造で、通りに面した空間を広く見せ、雨除けや商品陳列にも使えます。
江戸時代には、こうした風格のある出桁造の軒が商店の格を表現していたそうです。
町並みに奥行きを与え、連続した軒下景観をつくる要素となっています。

■ 格子戸(ごうしど)

通りから内部を適度に隠しつつ、光と風を通す工夫。
格子の形には「犬矢来格子」「糸屋格子」「酒屋格子」などがあり、職種によって意匠が異なります。

■ 間口が狭く奥行きが深い敷地

江戸時代の「間口課税」により、細長い敷地に効率的な空間構成が求められました。
間口課税とは家の道路に面した間口(正面の幅)の広さに応じて税金を課す制度です。

表に店、奥に住居や蔵、さらに裏庭を配するうなぎの寝床型の町家が一般的です。

■ 屋根・うだつの装飾

屋根は瓦葺きや板葺きで、隣家との境にうだつを設けました。
うだつとは屋根の両端を高くし、他の家の火災が広がってきて焼けること(類焼)を防ぐための防火壁のことです。
後に装飾的要素も加わり、「うだつが上がる」という慣用句の語源にもなっています。

3. 近代化の波と「町並み保存運動」の始まり

明治期以降、全国的に道路拡張や商業開発が進み、高山もその例外ではありませんでした。
戦後の都市化の波の中で、多くの歴史的景観が全国的に失われて、特に古い町家が取り壊されるケースが急増。

このままでは高山らしい町並みが失われてしまう・・。
そんな危機感から、高山では早くから景観保存運動が市民レベルで始まりました。

昭和40年代になると、都市景観の価値を再評価する全国的な動きの中で、高山の古い町並みが注目され、
1979年、「三町伝統的建造物群保存地区」が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。

国・市・住民が連携しながら、町家修理への補助制度や景観ガイドライン等を整備。
「修理して暮らす」「残して使う」という考え方が根づいていきました。

  • 建築修理や改修への補助制度
  • 景観保全を目的とした意匠規制・看板規制
  • 住民主体による「町並み保存会」の活動

といった、行政・市民・建築専門家が連携する参加型景観マネジメントが確立しました。

4. 現代のまちづくり ― 保存から“活用”へ

近年の高山では、単なる「歴史的建築の保存」から、“暮らしの中で続く景観”へと視点が変わっています。

現代の取り組み例

  • 無電柱化・石畳整備による伝統景観の再生
  • 町家再生プロジェクトによるカフェ・宿泊施設への再利用
  • 飛騨産業や地場木工業との連携による「木のまち・デザイン都市」構想


過去の都市構造を尊重しながら、新しい生活とデザインを共存させるモデル都市として高く評価されています。

5. まとめ ― 歴史都市としての高山の価値

高山は、金森氏による近世的都市計画を基礎に、江戸期の職人文化、近代の保存運動を経て、現在に至るまで一貫した都市の文脈を保ち続けています。
地方都市が“歴史と暮らしを両立させる”ための実践的なモデルとして、今後も多くの研究・政策に影響を与え続けるはずです。

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